hiroshima Kenzo Tange, Yoshio Taniguchi
バックパッカーではないのですが、
修行時代、4年ちょっと住んでいました。日本の広島です。
20代の僕はスイスから帰った直後で、首都圏が嫌で、ほとんど逃避のように中国地方に逃げて行きました。
広島市街は4本の川のある扇状地に広がる街です。
街としては総じて、こじんまりしていて住みやすい街です。
もちろんさすがに電車や車で行かないと行きづらい郊外はありますが、街の主要部は街の端から端まで自転車で言って帰ってこれる距離です。
そんな中で、川沿いに公園に近いくらいの遊歩道があるので、毎日散歩しても行き尽くせないくらい遊歩道があります。
また、扇状地ゆえに地盤がわるく、地下鉄を通すことができないことも特徴で、路面電車がメインの公共交通手段であることも、その特徴を色濃く出している街並みだと思います。
広島で外せないのは、原爆ドームとそれを残すものとして位置付けた丹下健三のピースセンター。
有名な話ですが、丹下さんが街の区割りとはずらして建物の軸線を原爆ドームに向けました。その軸線上には、イサム・ノグチが計画して、ほぼ同じ考えで丹下健三さんがつくったモニュメントがあり、そのモニュメントを覗くと、原爆ドームを向いています。
原爆ドームを象徴的にした結果、このドームは残ることになりました。
この周辺の平和記念公園を日中歩いていると、カープどうなった?と最大2回声をかけられたことがあります。残念ながら僕が答えられたことはないのですが、それくらい街の人が街を愛しているのがわかる場所だと思います。観光地ですが、街の人たちの日常が自然と溶け込んでいる状況がなんともこの街らしさなのかなと思います。
あまり知られていないのですが、このピースセンターの軸線を原爆ドームと反対側にずーっと行くと、多少曲がってはいますが、谷口吉生さん設計の広島市環境局中工場に着きます。最新の技術を導入したゴミの焼却工場で、焼却炉をアートのように展示していて、中を見学することもできます。
戦争とゴミをつなぐことで街ができていることと、観光と日常が入り混じっていること。それでいて、地下鉄ができない不利な条件が逆に味になって残っているという不思議な街並みなのでした。