
季節柄、卒業設計をたくさんみています。
建築の卒業設計は人生をかけたものと言われるレベルのプレッシャーを与えられながら作るものだったりします。
どこの学校でも自由に設計をするようになっていますが、そこは卒業論文と同じ設定なので、これからの建築業界をどうしていきたいか、新しいかどうかなどが評価される課題でもあります。
たかだか学校の一課題ですが、されど一課題。
どこの学校での同じようにしていることを考えても数千人、数万人規模の建築学生が比較される一つの評価点として存在しえる
課題ではあります。
それと同時にプレッシャーに負ける学生が多いのも事実です。
また、卒業設計で成功する=最大公約数的に多数の人が評価してくれた とも言え、建築家という死後においては評価されると成功しないと矛盾に満ちた評価をされることもしばしばです。
僕自身の卒業設計はプレッシャーに負け、何をしていいかわからなくなってしまった経験があります。
なので、卒業設計を出すように言われた時には三年生の時の最後の課題を出すようにしています。
この三年生の課題は途中まで3人グループで、途中から個人になる課題で、初めてまともに人と一緒に設計した課題でもありました。
形を作るということが悪になった時代で、形をつくるのが仕事の建築家は一体何ができるのかをひたすら問われていた記憶があります。
そんな中で、僕たちが提案できたのは、もともとある建物をどう壊すのか。壊し方をデザインすることも建築家の役割になり得るのではないかという提案でした。
当時は逃げて逃げていった感覚があるのですが、今では攻めた提案だったように思います。
その頃、卒業設計は今後の建築をしていく原点になる。と言われていました。
事実最近になって、この提案が自分の基盤になっていることは感じています。
三年生の課題を出すというズルではありますが、僕としてはこの三年生の課題が卒業設計として、自分の設計の原点になるような想いがあり、懐かしいような恥ずかしいような記憶の中の作品です。